東大阪集団暴行殺人事件

東大阪集団暴行殺人事件

東大阪集団暴行殺人事件は、2006年6月19日、東大阪大学(東大阪市)の学生ら2人が9人に集団リンチされた後、生き埋めにされ殺害された事件です。映画「ヒーローショー」のモデルになった事件です。事の発端は被害者であるAと交際中であった女性が、加害者Bとメールのやりとりをしていたことから起きました。Aは女性との関係が上手くいっていなかったことからBを憎み、被害者Cと共にBを呼び出して仲間5人と共に、Bとその友人Dを公園に監禁しました。その後暴行し、恐喝。その報復としてBと友人の二人はAとCを仲間ら9人で集団リンチした後に殺害しました。この女性関係を巡るトラブルの原因となったとされるBの相談相手となったDは、高校時代には生徒会長を務めるなど、周囲からは優等生と評判でした。

関係者

  • A(当時21歳)・・・被害者の1人。東大阪大生。交際中の女性がBとメールのやり取りをしたことに腹を立ててBを暴行したため、その報復として殺された。
  • B(当時21歳)・・・加害者。東大阪短期大学の卒業生で、当時アルバイトで生活。Aと同じサークルのメンバーで、そこでAの交際中の女性と知り合う。
  • C(当時21歳)・・・被害者の1人。無職。Aに相談を受け、加害者たちを懲らしめようと金銭の要求を提案した。
  • D(当時21歳)・・・加害者。東大阪大生。Bに相談を持ち掛けられたことがきっかけで事件に巻き込まれる。
  • E(当時21歳)・・・会社員男性。AとCに運転手を頼まれていたことで事件に巻き込まれる。
  • 実行役リーダー(当時21歳)・・・Dの小中学校の同級生。計画の実行犯。
  • 発案者(当時21歳)・・・実行役リーダーの同級生。計画の発案者。

事件の経緯

事の発端

生き埋めの被害者Aと加害者Bは同じサークルに加入している友人関係にありました。しかし、2006年6月15日、Aが交際中の東大阪大学1年生の女性とBがメールのやり取りをしていたことが発覚し、Aが激怒。その件で二人は殴り合いの喧嘩となります。喧嘩の際に、きっちり話を付けようと公園に呼び出されていたBはその件についてDに相談を持ち掛けます。Dは、怪しいところに1人で行くのは危険だと判断し、自ら同行することを申し出ます。翌6月16日、東大阪市内の公園でBとDの二人が暴行を受けます。Aが5人の仲間を引き連れて待ち伏せしていたのでした。Aはその後、16日の夜から17日の午前5時までの間、動けなくなったBとDを連れまわし、実在する暴力団の名前などを上げて脅迫。実際には暴力団と関わりのあるものは居ませんでしが、6月19日までに現金50万円を支払うよう約束させます。6月17日の夕方、Dは小中時代の同級生だった実行役リーダーに電話で相談し、泣きながら「10万円貸してくれ。渡さないとヤクザに埋められる」と述べます。居酒屋にいた実行役リーダーはのちに事件の発案者となる別の同級生に電話をさせ、その同級生は「被害届を出せ」と答えます。Dはその日のうちに東大阪市の布施警察署に被害届を出しました。しかし、この被害届は事件後に発案者及び実行役リーダーの指示で取り下げられています。

生き埋め事件

実行役リーダーは小中学校時代にいじめを受けていましたが、自身もかつての同級生や実弟から「普段は優しいが、怒ったら何するかわからない人だ」とも言われていました。一方、発案者は中学時代は校内で不良グループを結成しており、そのリーダー格だったと言います。実行役リーダーとはもともとあまり親密な仲ではなかったのですが、事件の1年ほど前に一緒に海外旅行に行ったのがきっかけで関係が深まったのだそうです。そして6月19日、発案者や実行役リーダーは、脅迫を受けたBとDの身を守るためにはAらを殺すしかないと判断し、実行役リーダーの知り合いの暴力団関係者やB・Dを含む9人の仲間を集め、被害者たちを呼び出しました。呼び出した手口は、BがAに電話し「岡山の親戚で金を借りられることになった。そこまで送ってくれたらすぐに金を渡す」と騙して車を用意させました。被害者A、Cと同伴した21歳会社員男性(以下E)の3人とB・Dが車に乗り込み、山陽自動車道・岡山インターチェンジ付近で、B・Dが「トイレに行きたい」と主張します。最初は我慢しろと言っていたA達でしたが、立小便でも構わないという言葉で近くの空き地に車を停めます。後ろを付けてきた実行役リーダーたちが、その場でAとCを暴行し車に乗せて玉野市深山公園で集団で暴行します。金属バットやゴルフクラブで、相手が動けないほどに傷めつけると、午前4時半ごろ実行役リーダーが以前勤務していた玉野市の建設会社の資材置き場がある岡山市灘崎町奥迫川の山中に3人を連行します。仲間の1人に建設機材で穴を掘らせ、EにAをその中へ突き落すよう指示します。こうする事でEも共犯にし、警察への通報をさせまいとしたのでした。実行役リーダーはその穴にAを生き埋めにして殺害します。Eには「警察に行ったら家族を皆殺しにする。50万円支払え」と脅迫して解放しました。実行役リーダーは暴力団関係者との間で、「Cを借金漬けにするために連れていく」という約束を交わしていました。そのため岡山市の実行役リーダーの自宅マンションにCを連れ込もうとしますが、Cが瀕死の状態であることを知った暴力団関係者から「それでは金は取れん。連れてこなくていい」といわれてしまいます。そこで再び一行は灘崎町の山中に戻り、Cも同様に生き埋めにして殺害しました。

事件後

6月22日、解放されたEが、東大阪市の布施警察署に届け出て事件が発覚します。翌6月23日、実行役リーダーは大阪から母親に、「俺が2人殺した。逃げた1人を殺してから自首する」と電話を掛けます。6月24日早朝、加害者ら9人は実行役リーダーのマンションに集まって「4人でやったことにする」として自首を協議します。午前中には、加害者側の3人が岡山南警察署に出頭して逮捕されました。6月25日、午前1時ころ、実行役リーダーが玉野警察署に母親らと次男夫婦の車で出頭し逮捕されます。6月27日、生き埋めにされた2人の遺体が発見されました。いずれの遺体も顔が腫れ上がっているなど損傷が激しい状態でした。2人の死因は窒息死で、鼻や呼吸器にまで土が入っていたそうです。28日未明、主犯ら9人全員が逮捕されました。なお、当初は実行役リーダーが主犯格とみられていましたが、実際にはあくまで事件をエスカレートさせて殺人に発展させた人物であり、事件自体の主犯は別の同級生であったこともわかりました。2007年3月27日、実行役リーダーは先に暴行・恐喝を受けたのは自分の仲間の方だったにも関わらず、暴行を被害者殺害に至るまでエスカレートされたことが要因となり死刑を求刑されました。求刑後、被害者の両親らは自分の息子が加害者に対し、暴行および暴力団の名を語るなどで脅迫、恐喝などの犯罪行為が先にあったことを認めず「全員を死刑にしてほしい」と発言しています。

判決

2007年5月22日、大阪地裁(和田真裁判長)は、被告の反省と更生の可能性を認めながらも、責任は重いとして実行役リーダーに求刑通り死刑を言い渡しました。被告は控訴しました。2008年5月20日、大阪高裁(若原正樹裁判長)は1審の死刑判決を支持、実行役リーダーの控訴を棄却しました。なお、発案者は無期懲役、発案者と終始行動を共にしていた被告は懲役18年、トラブルの発端となった被告Bは懲役11年、Cを連れてくるよう指示した暴力団関係者は懲役17年がそれぞれ最高裁で確定しました。実行役リーダーに最初に電話で相談していた被告Dは懲役9年、見張り役の被告は懲役7年、実行役リーダーと終始行動を共にし、ユンボの操作も担当していた被告は未成年でしたが懲役15年が2審でそれぞれ確定しています。また、深山公園で合流してきた少年2人がいましたが、この2人は家庭裁判所送致となりました。この2人およびB・D、見張り役はA殺害後に帰宅していたため、Cへの殺人罪には問われていません。2011年3月25日、最高裁判所(千葉勝美裁判長)は、実行役リーダーの上告を棄却し、同被告の死刑が確定しました。2014年現在、大阪拘置所に収監されています。再審請求中です。

映画「ヒーローショー」を侮るな!